このコロナ騒動で絶大なる影響を与えた専門家(研究者)だが、なぜ過去の誤りを認めないのか、謝らないのか。彼らの思考を考えてみた。多分、研究者の世界は「その段階で分かったことから最適解を見つける」が大切であり、過去の最適解や仮説は都度アップデートされていく。それがコロナ騒動で医師らが「最新の情報をアップデートして考える必要がある」と言い続けてきた背景にあるだろう。これは、あくまでも研究室・学会内でのみ正しい思考法である。理由は、彼らの研究が一般社会の生活には影響しないからである。その場で自由に持論を発表し、議論をし、論文を認めたり却下したりすればいい。だが、コロナでは社会に出てしまい、しかも社会から人間生活全般に関する意見を求められてしまった。研究者(今回の場合は感染症の専門家)に、感染症以外のことを聞くべきではなかったのだ。これが今回のコロナバカ騒動の裏にある本質かつ、3年3ヶ月もやり続けることになった理由の一つである。
ここで言う「社会」の発端は政府や各都道府県、厚労省である。そしてメディアだ。本来、研究者はその分野に関することを追及する存在である。もちろん今回雨後のタケノコのように登場した数々の専門家は、その道では優れた実績をあげていたのであろう。だから政治家からもメディアからも声がかかった。そして、感染症やウイルスに関し、知見を与えるよう求められた。ここまではいい。
だが、混乱し、恐怖におののいた政治家・メディアは、これら専門家に対して何でも聞くようになってしまった。それこそ政治・社会・文化・教育・心理、そして「人々の行動」にまで、だ。これは政治家とメディアによる「丸投げ」に他ならない。感染症の専門家はあくまでも感染症に詳しいだけで、上記分野については素人である。しかし政治家・メディアはあろうことかこれらの分野にも専門家の意見を求めたのである。『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)に連日登場した白鴎大学教授・岡田晴恵氏がその代表格である。番組MCの羽鳥氏や玉川徹氏を含むコメンテーター陣は岡田氏を「救いの神」のごとく崇め、彼女の金言を待った。ただ、私は連日同番組を見ていたが違和感を覚えた。それは一体何か。
なぜ岡田晴恵氏は何にでも答えることができるのだ?
とにかく小気味よく意見をビシッと言い、出演者が的外れな質問をすると「ですから~」と呆れたように専門家としての意見を述べ始める。これを見た視聴者は「岡田さんの言うことに従えば、コロナは撲滅できる! 岡田さんが言うように怖いウイルスだけど、今しばらく頑張ればいいんだ!」というマインドになった。そして、それが以後3年3ヶ月続いたのだ。感染症の専門家(後に歯医者だろうが内科医だろうが救急医だろうが続々と参戦するようになる)が専門外のことに口を出し続けることが当たり前になる異常な3年3ヶ月だったのだ。
彼らが国民生活に影響を与えた初期の表れが、2020年2月に安倍晋三元首相が発令した「全国一斉休校」である。あの時の日本国民の恐怖感であれば、「仕方ない」となることだろう。その後は「卒業式中止」「入学式中止」「花見はするな」と次々と人々の行動制限が強化されていった。
そして4月15日、大きな爆弾が投下された。西浦博・北大教授(当時)による「人と人との接触を8割減らさないと42万人死ぬ」発言である。これに人々はおののき、緊急事態宣言下にあった東京はもとより、全国民が完全に自粛モードに入ったのである。そして同氏は「8割おじさん」と呼ばれ日本を救う立派な人扱いをされ、京大教授に上り詰めるのである。
しかし、2020年内の死者は約3500人、2023年4月段階では約7万4000人。しかも、死者の圧倒的多数は高齢者であり、通常の死亡の年齢分布とコロナはほぼ同じである。そしてオミクロン株の致死率はインフルエンザ以下。明らかに恐怖のウイルスではないのに、なぜ、西浦氏を始め、研究者(専門家)は、頑なに初期設定を変えないのか?
一般的感覚でいえば、「誤りがあったのであれば訂正すればいいし謝罪すればいい」と考えるが、彼らはそれができない。普段の研究室の世界では、日々アップデートをし、研究成果を積み上げていけばいい人生を送ってきた人物である。しかし、専門外のことに手を出し、深みにはまり、自身の発言・提言が社会をここまで強く動かすことにおののいたのではなかろうか。自殺者が出た、倒産した、GDPは激減、不登校になった……。コロナを巡り社会生活は悪化の一途を辿ったがその過程を見て「まさか私の発言がここまで社会を動かすとは……。私は本来研究室・学会にいるべき人間だったのに」と途中からは感じたのでは。そしてそれはいつしか恐怖に繋がったのではないか。
今、西浦氏のツイッターを見ると、その様子を見て取れる。妙にポエム風だったら若きウェルテルの悩み風だったりする。「もう私も皆さんと同じで疲れているんです。先に進みましょうよ。はぁ、それにしても私は理解されない……」といったモードに入っている。勝手な推測だが、2020年の「3500人死亡」を見た時に聡明な同氏はすでに恐怖を抱いたのでは。そして、最後になるが、もう一度、研究者の思考を見てみる。そして一般人の研究者に対する思考を見る。これらは見事に逆なのである。
【研究者の思考】
その時点で与えられた情報から私の知見を基に最適な仮説・論を出す。それを研究室・学会内で発表・議論し、一旦の結論を作る。その後、新しい知見ができたらその論はアップデートし、長い研究生活で高みに到達をすればいい。人類の役に立てばいいが、場合によっては役に立たなくても私の研究成果が後世に役立つのであればそれでいい。
【一般人の思考】
専門家の言うことだと思って信頼し、あなたの言う通りに動いたが、世の中全然そうならないじゃないか。オレは仕事を失ったし、弟は自殺した。あなた方の言う通りワクチンを3回打ったが、毎度高熱が出るだけで先日はコロナ陽性になった。なぜ、過去の発言を一旦修正しないのだ? そして謝罪しないのだ? 前提がぶっ壊れたまま突っ走り、それを「アップデート」と逃げる。それは卑怯ではないか。
そうなのである。研究室・学会内であれば、「アップデート」と言っておけば許される。なぜなら人の人生に影響を与えないから。人の人生に影響を与えない仕事をやり続けた人物が人の影響に絶大なる影響を与えるとどうなるか。それが現在、西浦博氏を含め多くの「専門家」に対して寄せられる厳しい意見に表れているのである。
そして、専門家・政治家・メディアの流す情報に疑いを持たず、唯々諾々と従い、それ以外の行動を取る者(たとえばマスクをせずワクチンを打たない者)を糾弾し続けた大衆も罪人である。