電通の新入社員だった女性が入社1年目の12月に自殺したことを受け、月105時間の残業時間もあったことなどから労災と認定されました。彼女の冥福を心からお祈りいたします。当件について私はまったく知らないため、これ以上の言及を避けたいと思いますが、ここでは大手広告代理店の若手社員にとっては避けて通れない「長時間労働」について書いてみます。

私は1997年4月に業界2位・博報堂に入り、2001年3月に退社しました。以後、フリーのライター・編集者・PRプランナーとして働いてきましたが、これまでに最も働いたのはどう考えても会社員時代だったと断言できます。フリーの方が悶絶するようなブラック労働をすると思われるかもしれませんが、間違いなく会社員時代の方が長い。今回は電通の方が自殺するという事態になりましたが、若者の長時間労働においては似たような面があり、これは広告業界の悪習ともいえるものです。

なぜ、そんなことになるのかといえば、大いに影響するのが「所詮は下請け業者」である点です。ネットでは電通が日本の政財界すべてを牛耳り、猛暑やゲリラ豪雨まで電通が仕掛けたといった「ぬえ」のような存在として扱われていますが、実態として私が感じるのは、

客に対して忠義を徹底的に尽くす社畜集団


です。彼らはクライアント、そして昨今続出する「クレームをつけてCMオンエア中止に追い込む」一般人に対してめっぽう弱い。陰謀論はかなり誇張されたものです。彼らが強いのは、あくまでも下請けのプロダクションや芸能事務所、そして印刷屋等発注相手に対してだけです。

こうした立場があるだけに、クライアントに対しては「御社のために誠心誠意頑張ってます! 電通の(博報堂の)総合力を挙げて御社の新商品、『ニオワナイZ』のトータルコミュニケーションプランを考えさせていただきます!」みたいな姿勢を取る。

この直接クライアントと対峙する営業担当としては、社内のスタッフ(今回の女性はデジタル広告関連部門だったらしいですね)に対し、「今回は何としても競合プレゼンに勝ちたい。なにとぞよろしくお願いします。皆さんの力が頼りです」とやります。しかし、高圧的な営業だったら「いいか、おめぇら負け続けなんだから今回ぐらいはちゃんとやるんだぞ!」みたいなことを言うヤツもいる。こうした人が案外出世したりもする。

ここから、打ち合わせ無間地獄が開始します。新商品の年間キャンペーンの競合プレゼンともなれば、10億円もの扱いになったりもする。それが取れるかどうかの瀬戸際なワケです。また、時々代理店を一社に任せることをクライアントが決めることもあります。「AE」と言うのですが、すべてを一社に発注するということです。これまでの電通・博報堂・ADKの3社体制だったものを、1社に絞るということです。もしその際の競合プレゼンで負けた場合はその営業チームは解散。全員が地方に飛ばされるなんてこともあります。

営業が日々、クライアントから切られないよう配慮とペコペコプレイを重ねている中、そのプロジェクトにかかわったスタッフもかなりの荷重を強いられます。ここからは広告業界に巣食う「信仰」を紹介しましょう。

■直前までベストを尽くし、最良のものを作らなくてはいけない

プレゼンが月曜日の朝10時だとしましょう。その場合に、チームが考えるのは、「タクシーの移動時間が30分。クライアント用資料のプリントアウトに40分かかる。企画書の修正には1時間ほど見ておこう。よって、この会議を終わらせるのは7時50分だ」みたいなことになるのです。

要するに「最後まで考え抜いた」ことが重要であり、そうしたスタンスで仕事をやれば勝てるのだ、と考えている節があるのです。それでいて、深夜4時頃酔っぱらったクリエイティブディレクター(一番エラい人! 神みたいな存在)が「よっ!」なんて酔っぱらってやってきて「これとこれ、いいね。じゃ、後よろしく!」なんて言い、どこかへ行ってしまう。プレゼンをする人はその人の弟子なのですが、エラい人はプレゼンでは要所要所で「この表現に込めた意図はですねぇ…」なんて重低音の声で言い、なんとなく重鎮感ってやつを醸しだすのでした。

この「最後まで頑張る(悪あがきをする)」ことは、当然残業時間の激増を意味するわけですよ。しかも、こういった時、チーム全員がいることが求められる。本来、若手社員は、企画書の根幹にかかわるというよりは、下調べをしたりするところで活躍することが多いのですが、「私もいなくちゃいけないかなぁ…」プレッシャーにより、結果的に本来はそこにいる必要もないのに徹夜に付き合うこととなる。

そして、前出「忠義を見せる」方法としてプリントアウトする部数を10部ほど多くしておいて、「他の方にもぜひ共有しておいてください」なんてハハーッとお辞儀しながらやる。正直クライアントは「後でデータくれればいいんだけどね」としか思っていないのに。

この考えが必ずしも仕事のスタンスとして正しくないと感じたのは私が2001年にライターになってからです。必死に最後までより良い文章にしようともがいていたら、編集者からは「あのさ、9時に校閲さんが見るの! そして12時には印刷所に送るの! 別に100点取らなくていいから、9時前に出して!」なんていう。ただ私は広告業界の出身なだけに「10時まで待ってくださいよ…」と言う。しかし、編集者は「あのね、校閲さんが待ってるの! そっちの方が重要なの!」と言いました。今ではこれでいいと思ってます。

■打ち合わせは、素晴らしいアイディアのためには必要なもの。全員出席を求め悶絶8時間マラソン!

これも上と似ているのですが、結局大きなプレゼンの打ち合わせであろうが、「営業」「マーケ」「制作」「デジタル」「PR」「SP」の責任者だけが出て、後は各自が持ち帰り、部下に適宜指示をすればいいのです。しかし、なぜかプロジェクトチームの全員の参加が求められる空気があり、25人がズラリと並ぶ中、喋ってるのは「営業」「マーケ」「制作」のガハハオヤジ3人だけで、8時間も会議を続けるなんてことがあるのです。

■「てっぺん」(深夜0時)を超えてからの会議がカッコイイ

こうした大人数が集まるだけに、なかなか時間の都合がつかず、「27時からですね」なんてことになる。すると、妙に高揚しているエラいオッサンがいるわけですよ。「いやぁ、オレら、パッツンパッツンだよなぁ」「3時ってなんだよw」みたいに。しかし、本来会議に参加する必要もない若者からすれば「私は21時に仕事が終わっていたのに、6時間も無為な『仕事してるふり』の時間を過ごさせられた…」と思う。しかし、文句を言おうにもなかなか言えない。それは以下に続く。

■ワシも若い頃は残業が多かった、だからお前もできるはずだ

まさにこの通りです。広告業界のオッサンは、いかに長時間労働をしたかや、寝なかったかを自慢し、「寝ない=エラい」「残業長い=有能」といった判断をします。

■クライアントのところに行くには「お土産」が必要

営業は連日クライアントの元に足しげく通います。それこそが「御社のことちゃんと大切に思ってますからね、ネッネッ、だから仕事下さいね」の意思表明になるからです。その際、毎日行っても正直話すことなんてないんですよ。その際に営業が言うのが「なんか『お土産』ないかな…」です。スタッフ部門の人にもなんらか新しいテクノロジーやらウェブサービスを紹介してもらい、「今度これを使ってはいかがですか?」みたいなことをする。

だから、2000年代後半から2010年代前半にやたらと「Ustreamを使って記者会見を生配信しましょう!」「セカンドライフに仮想店舗を作りましょう!」みたいなバカ提案が続出し、軒並み企業が失敗したわけです。とにかく営業は「何かお土産を持っていかなくては…」と考え、クライアントも「社内で宣伝予算を取るためにも、なんか新しそうなことを提案しなくては…。そうしないとオレの社内の立場もマズいんだよな…。新しいことやれ、なんて役員からも言われているし…。そうだ、電通、博報堂、なんか持ってこい!」となるわけです。

かくして、こうした「お土産」をスタッフがひーこらしながら作り、プレゼンに行き、実施ともなろうものならば、ますます忙しくなっていく。

■残業青天井批判をかわす必要アリ…。

私は入社4年目の2001年10月に300時間残業をしました。これはまったく誇張しているわけでもなく、本当にそうだったのです。しかし、管理部門から言われたのは、「100時間以上はマズいな(労働監督庁とかの話でしょう)…。残りの200時間は分けてとってもらえないか?」と言われました。まぁ、会社が困るのもなんだな、と思い、200は適宜分けようかとも思ったのですが、そこから先も100時間以上の残業は続くのは目に見えていたため、「いつになったらオレはこの200をつけられるんだ!」と逆上し、会社を辞めてしまったというわけです。

ちなみに電通なんて新入社員が富士山に登る研修があったりしてそれを聞いた瞬間、オレなんて「電通なんかに入らないで良かった!」と思ったものです。だから博報堂のことは今でも好きですよ。結局オレが会社を辞めて以降会社に就職していないのは、「会社員という生活はオレには合ってないな」と考えたからです。もしも会社員に戻らざるをえなくなったら博報堂に頭を下げて「なにとぞ雇ってください!」とやると思います(まぁ、落ちるだろうけど)。他の会社は行きたくありません。

また、クライアントの中には広告代理店のこうした社畜精神を利用し、「今度CMもウチ、やるんで、今頑張っておけば・・・(チラリ)」みたいなことをやる例もあるわけですよ。

それでは、オレはもう公の場でこの仕事をしたことを書いてしまったこともあるので、明かしてしまうがこの悶絶の社畜的構造について具体例を挙げて説明しておくか。

2000年11月1日、アマゾンドットコムが日本上陸。その立ち上げのPRチームに私も入りました。それがまさに前出「300時間残業の10月」にあたるわけです。10月16日から10月31日まで家に帰った回数は4回。滞在時間は5時間といった状況で必死に準備をしていましたが、すべては営業のこの言葉をオレも信じたからでした。

「今回、この日本上陸PRを成功させたら、クリスマスにドーンとCMの仕事もらえるから、今は安い金額の仕事ではあるが、頑張ってくれ。中川たちが今回頑張って成果を出してくれれば、CM受注に繋がるんだ。頼む!」

私はその営業担当のことも好きでしたので「営業が一番大変なんですから。オレらもなんとかそのCM獲得のために貢献します」なんてやったわけですよ。CMというのは、広告代理店にとってはもっとも割がいい仕事です。テレビ局に仲介することで手数料収入を稼げますからね。そして、華々しくアマゾンの話題は各種メディアで記事や企画(広告ではない)として取り上げられ、「上陸PRは大成功!」みたいなことになりました。

この段階で、我々博報堂社内のPR担当部署、そして一緒にチームを組んだPR会社のスタッフは相当疲弊しております。今回電通の社員がこのようなことになりましたが、下請けであるPR会社や制作会社の若者の疲弊にも今後は目を向けていただければ、と思います。

話は戻ります。我々社畜集団・博報堂のPRチームが忠誠心を出しまくる中、クライアントたるアマゾンは、市川塩浜にある配送センターのPRをやってくれ、と言います。当然クリスマスのCMが欲しい我々は「喜んで!」とまさに居酒屋の「庄や」のごとく答え、取材の依頼があった時など、クソ忙しいのに田町から市川塩浜まで行き、記者のアテンドとかをするわけですよ。あぁ、うぜぇ、めんどくせぇよ。くそ。

それで、「配送センターPR」が終わり、そろそろCMの話が来るかな、と思ったら「クリスマスのラッピングを作ってください」みたいな話が来る。正直、CMと比べたらあまりにもショボい仕事です。しかし、営業は「クライアントとこうやって地道に関係を作っていくことが大きな仕事に繋がる」と言い、結局この安い仕事を受けるわけです。で、CMはどこ行っちゃったの?

クライアントは「まだ初年度なのでありませーん!」なんていけしゃーしゃーと言う。そうこうしている内に、「札幌にコールセンターができます。地元の雇用にも役立つのでPRお願いします!」という依頼が来て、年が明けた2001年、ワシも札幌通いが始まりました。

結局10月の300時間残業でキレたオレは11月2日、会社には「もう辞めます」と宣言していたのですが、これが最後の仕事になりました。正直「クソアマゾン、お前らの『エサぶらつかせては安い仕事やらせる仕事にはヘドが出るわ、うんこ食ってろ!」という気持ちだらけでしたね。

で、かくして私は無職になったのですが、広告業界ってのは基本はカネを握っている「クライアント様」にいかに忠義を尽くすか、そして若手は「怒られたくない」という気持ちで無理をしている状況があることをここに書かせていただきました。

広告業界の若者、死ぬなよ。頼むぞ。