双子用ベビーカーの女性、市営バスが乗車拒否か 名古屋というニュースがテレビでも取り上げられ、ネットでもバスの対応、そしてその場にいた乗客への非難が多数報じられたり書き込まれましたが、「これだから日本は優しさがたりない」「子育てしにくい」「お互い様の精神がない」といったところがその根拠でしょう。子育て中の親や実際に双子のお子さんを持つ人からすれば切実な問題です。さすがに女性一人で運べるわけもないので、「降車側のドアを開け、客の誰かが前を持ち上げる(ないしは母親に中に入ってもらい客が一旦外に降りる)」はやっても良かったのでは、と思います。「マニュアルにないんだよ。安全面で問題あるだろ」式の反論が来るが、「一度検証し、改正すりゃいいだろ」と思う。
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ところが、「他人に対して親切にする・配慮する」という行為が日本では「やってはいけないこと」のように扱われることが多い。というか、親切を受ける・配慮される側が「相手に悪いな」と思うことから、申し出を「いいです」とか「大丈夫です」と断ることが多いのですね。こうした配慮をする相手は高齢者、女性、子供、病人・ケガ人で、健康そうな成人男性に対してはやりません。

新幹線とか飛行機に乗る時、大きな荷物を持っている女性がいて、席上部の収納スペースに入れたいんだろうな、と思うわけですよ。でも、5回に2~3回は「いいです」と断られられる。そして、この断った人は必死に上に上げようとしているのですが、こちらとしては断られた以上、「この人は人から手伝われるのが嫌いな人なんだ」と考えることにし、「やっぱりやりましょうか」は言わなくなりました。また「いいです」「大丈夫です」(余計なお世話です)なんてことは言われたくないですからね。

あと、この人は、自分が降りる時に同じ人に「降ろす」手間をかけさせるのに恐縮しているのかもしれない。実に日本人らしい「ありがとう」といえばいいところを「すいません」とお詫びの言葉を述べる様式がすっかり身に着いたマインドセットではございますが、「5回に2~3回は拒否される」という経験が続けば、よっぽどのことがない限りもう声はかけないでおこうと思うものです。明らかに背が届かない小柄な方とかいるじゃないですか。そういう人にはすぐに声はかけます。

或いは、自分の荷物が手元になくては落ち着かない人なのかもしれない。でもね、私は新幹線の窓際。あなた真ん中。トイレに行く時通行の邪魔だから上に上げてほしいんですよ、という気持ちも多少あるからそのオファーをするのですが、頑なに「いいです」と言い、東京から京都までずっとスーツケースを足元に置き続ける。或いは「チッ、私は一人でいたいんだよ。コミュニケーションを今は取りたくねーんだよ。ナンパのきっかけか?」なんて思っているのかもしれない。

◆電車で席を譲られることを頑なに拒否する高齢者男性

もう一つ、「力自慢なのに余計な声を掛けやがって。オレはジジイだけど学生時代はラグビーやってたんだかんな!」みたいな思いがあるのかもしれない。「上級国民」と散々ネット上でヒール扱いされた池袋暴走事故の加害者・飯塚幸三氏(88)が自動車の運転に自信を持っていたことと似ているかもしれません。

これは別の文脈になってくるのですが、高齢者の男性に顕著なのですが、「ワシは元気じゃ!」とでも考えているのか、電車で席を「どうぞ」と席を譲ろうとする時に何度も経験したシチュエーションがこれです。こちらの方をまったく見ることなく、文庫本なんか読みながら「いらんお世話だ」とばかりに手を振って拒否の意思を示す。絶対に目も合せないし、あからさまに「迷惑だ!」の空気を醸し出す。そして、以後、席が空いてもその吊り革が気に入って仕方がないのか、仏頂面をしながら立ったまま本を読み続けるわけですよ。

私が席を譲るオファーをしなければ恐らくどこか空いた席に座るのでしょうが、「ワシは一度断った。立つのはワシの健康法である」ということを誰かにアピールしなくては、とでも思っているのか、頑なに座ろうとしない。お前、一生立ち続けとけよ。

こうした経験をした結果、自分は積極的に電車の中で席は男性高齢者には譲らなくなりました。明らかにヨボヨボしていたり、杖をついていたりした場合は別ですよ。あとはマタニティマークをバッグにつけている女性なんかも譲ります。一方、高齢女性って「ありがとうね!」なんてニコニコしながら言ってくれるので、譲るようにしています。あくまでも「高齢男性」には譲らない、というだけです。この「高齢男性には電車で席を譲らなくなった」という話を車椅子利用者の男性にしたことがあります

彼は「なるほど。ところで、車椅子の人を街中で助けない! あいつらはいつも申し出を拒否する! と宣言した人がいましてね。断る人はいるかもしれませんが『いつも』というのは違うと思うんですよ。多分人生で1回、2回そういうことはあったってことで、それはけっこう例外的な話であり、実際に車椅子ユーザーは必要な時は助けてもらいたいものです」と言いました。

これを聞いて私は恥ずかしくなり「オレが『高齢男性には席を譲らない』と決めたことは心が狭かったのですかね?」と聞きました。すると、彼は「あなたはこれまでに高齢男性から何回電車で断られたんですか?」と聞きました。

私は「この30年ぐらい電車に乗っていますが、最初の20年で30回はありましたね。以後、『もう高齢の元気そうなジジイはスルーしよう。キツかったら言ってくるだろう』と思うようになりました」と答えました。すると彼は「30回というのは多いですよね。でも、車椅子を助けない宣言の彼は多分『1回』か『2回』だと思うんですよ。『20年で30回』というのは明らかに『その傾向がある』と言っても良いと思います。男性高齢者は頑固なので席を譲られたくない性質の方が多いのかもしれないので、あなたのその対応は仕方がないのでは」と答えました。

あとは、「見知らぬ人間がオレに喋りかけてくるんじゃねーよ」というのもあります。これは以前も書いた話なのですが、大学のキャンパス内のベンチに座っていたところ、同じ「経済史概論」を受講している男がいた。彼に声をかけて「スイマセン、経済史概論のテスト、何日ですか?」と聞いたら彼は周囲を見渡してこう言いました。

「なんであなたは僕とクラスもサークルも一緒じゃないのに声を掛けてきたんですか?」

「いや、経済史概論の講義でお見かけしたことがあるからご存知かな、と思ったんで……」

「それ以外の共通点がなく、同じ組織に属しているわけでもない人に教える義理はありません」

「は、はぁ……」

とにかく、「道を聞くなどのために、見知らぬ人に喋りかけたら不審者扱いされた」という経験は誰しも日本ではあるわけですよ。アメリカのホテルのエレベーターなんか、「ハーイ」なんて笑顔で言い合い、降りる時は「Have a good night!」なんてこともよくある。しかし、この「不審者扱い」を経るにつれ、「もう知らないヤツには喋りかけないようにしよう」といった気持ちになってしまう。

結局「親切を受けたら『ありがとう』とその好意を受け入れよう」「困っている人から何かを聞かれたらできる範囲のことをしてあげよう」というメンタリティがない。いや、これまでの経験からこうした気持ちが失われてきたことというのが、今回の「双子用ベビーカーバス拒否騒動」の根底にあるのではないでしょうか。

だからこそ冒頭の件については「さすがに双子用ベビーカーを1人では持てないでしょう」という極常識的な判断を乗客はできず、「もしも声をかけて断られたらオレ・私がその後バスの中で恥をかく……」なんて一瞬にしてその場にいた乗客の多くが考えたのかもしれません。そして「誰か助けてください!」と遠慮してお願いできない母親の側の気持ちを作ったのも上記のような「世間の空気」ってやつかもしれません。

その一方、匿名で児童施設にランドセルを送る「タイガーマスク運動」みたいなものは美談になる。どういうこっちゃ。親切する側が目立たないといいってことか?