中国関連情報サイト・サーチナに「中国では嫌われている三国志の呂布、どうして日本ではこんなに愛されているのか=中国メディア」という記事が出ました。三国志最強の武将とされつつも、裏切者イメージも強い呂布は中国では不人気だそうです。それがなぜか日本では人気。不思議だ…と考えた中国メディアによる分析ですが、それによると【1】自分の理想や夢のために努力して行動し、出世の意欲を持ち夢を持った人物だから【2】悲壮な人生を送り若くして世を去る悲劇のヒーローに日本人は共感する、の2つが挙げられました。
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日本人のヒーロー観といったところでは正しい分析のようにも思えますが、呂布に関しては違うのではないでしょうか。単純に「三国志で一番強いから」ということだけなような気がします。その象徴的なシーンが、反董卓連合が結成され、虎牢関で董卓軍の主力たる呂布が出てきた時のエピソードでしょう。

董卓配下No.2猛将の華雄が関羽に斬られ、その後呂布が出てくるわけですが華雄を破った関羽に加え張飛、劉備の3人でも呂布に敵わないわけですね。このシーンは吉川英治三国志でも横山光輝三国志でも前半のハイライトとして存在し、「呂布=最強」のイメージを形作りました。

だからこそ、その後出た光栄の三国志の武力では、

呂布=100
張飛=99
関羽=97(その後99になることが多いが)
華雄=90

ということになるわけです。

劉備も大体は79ぐらいの武力はありますが、この3人をもってしても勝てない呂布というのはどこまで鬼神のようなヤツだ! すげー! オレも呂布を部下にしたい! という夢を叶えてくれたのが光栄の三国志なわけです。

以前、コーエーテクモの三国志プロデューサーに取材に行ったことがあるのですが、その時のやり取りを以下紹介します。

私:武力99の張飛や98の趙雲を使っても一騎打ちではとんと呂布に敵いません。たった「1」しか違わないのに、なんでですか?

P:三国志の武力パラメーターの基礎となっているのが呂布の「100」です。ここから、下がる形で他の武将の値が決まっていきます。70あたりになると69と70や71がそこまで違うものではありませんが、ただ呂布の「100」と関羽、張飛の「99」や趙雲、許褚、馬超の「98」、太史慈、黄忠、典韋、龐徳の「97」には明確な差を入れています。やはりNo.1武将の「100」というのは別格であり、そう簡単に他の武将が勝てなくなっています。

私:同様に、諸葛亮の知力「100」もその考えですか? 軍師としての助言に関していえば、諸葛亮は絶対に助言が正しいですが、「99」の司馬懿や「98」の
龐統はけっこう間違える。これも諸葛亮の知能が群を抜いているという見せ方をしたいからの設定ですか?

P:その通りです。

なぜ日本人が呂布をここまで好きなのか、という話でいえば、女にだらしなかったり、妙に娘への愛があるところなども当然愛すべきポイントになってくるのですが、光栄(コーエーテクモ)三国志に端を発する「圧倒的な強さ」という点がもっとも原因なような気がします。

しかしながら『信長の野望』における最強武将である武力100の上杉謙信をそこまで好きかといえば「それなりに好き」というぐらいの話になっている。そこはやはり「戦国史」という歴史小説が存在するわけでなく、様々な解釈があるため上杉謙信=武力100説にも異議が唱えられる面もある。前田慶次の方が強い説やら、島津義弘の方が強いだろ、いや、真田幸村が強いんじゃねぇの? みたいな話になり収拾がつかなくなってくる。

一方、三国志をベースとした三国志演義に描かれる呂布はとにかく「作中No.1の強さ」であることは一致している。そういったところから最強武将としての呂布のイメージが日本でも定着し、ここまで呂布の人気があるのかな、と思います。

ということは、横山・吉川三国志で描いた呂布の無双的強さと、こうした資料を基にしてさらに呂布の強さを際立たせた光栄の三国志により呂布が神格化され、我々にとって魅力的なキャラになったのでは、と考えるのが私なりの解釈でございます。

しかしながら3DS三国志では呂布がやたらと「混乱」にひっかかって使い物にならないことが多いことはここで言及しておきます。何せ知力「31」ですからね。政治力も「9」なので、本当に猪武者として突撃をさせまくるに限ります。