ネットで文章を書くことと炎上はセットになっている状況ではありますが、少しでもそれを回避するためにはどうするか。明確に主張したいことがあって炎上するのならばいいのですが、ネットの場合、余計な一言とかで誰かの感情を害し、炎上することってのがあるんですよね。本来は枝葉末節のどうでもいいところなのにいつしかそこが論点になってしまう。その余計な一言の最たるものが「比喩」と「関係者がいるものに言及する」であります。

先日こうツイートしました。昨今話題のフリーキャスター・長谷川豊氏の人工透析をめぐる一連の「本気論」「本音論」に関するものです。
今の時代、関係者がネットの評判を探ろうとエゴサーチをしていますから、少しでも自分や自分の仕事に関連するものがあったら評判を知りたくなるものです。ホメられたら嬉しくてけなされたらむかつく。よって、悪いことを書く場合は、比喩もダメだし、叩く直接的な相手以外で、「これはオレのことか!」と思ってしまう具体的な人物・属性(県民性等)・企業等に言及するのもダメなのです。

比喩といえば、かつて小渕恵三首相のことを「冷めたピザ」という言い方を米紙がしましたが、意味は「その程度の魅力しかない」といったところだそうです。しかし、ピザ屋からしたらあんまり嬉しくないところで取り上げられたかもしれませんね。「冷めたピザだっておいしい」みたいについ反論したくなるかもしれない。まぁ、「冷めたピザ」よりも温かいピザの方が明らかにおいしいので、この比喩はピザ屋からしても「ピザは温かいうちに食べようね(笑)」みたいにジョークにできる余地はあり、これはそこまで悪い比喩ではない。

しかし、比喩を用いるのにはある程度のセンスが必要なんですよ。センスが悪いと途端に偏見が透けて見えてしまい、いらぬ反感を買う。それが、長谷川氏書くところの「田舎の公衆便所」という表現なのです。これは、都会に住む長谷川氏が田舎の衛生状況をバカにしていると捉える人もいるかもしれない。田舎の公衆便所を一所懸命毎日磨いている人が気分を害するかもしれない。

これを「言葉狩り」というのは違って、単なる配慮です。「世の中には、歪んだ正義感を振りかざす、ネット上でしかうっぷんを晴らすことのできないバカが田舎の公衆便所の小バエのごとく、大量にいます」は、別に「世の中には、歪んだ正義感を振りかざす、ネット上でしかうっぷんを晴らすことのできないバカがとんでもないくらい大量にいます」でも通じるのですね。

これだときちんと「バカ」を叩いているだけになり、長谷川氏の趣旨である「ネット上でしかうっぷんを晴らすことのできないバカ批判」からはずれていない。「田舎の公衆便所」の一言により、一部の人からすると「田舎の公衆便所は果たして管理がなっていないのか」という話になったり、「田舎の公衆便所はどうせ汚れている、と上から目線でデマを巻き散らかす都会の上から目線野郎にdisられた」みたいな話になっていってしまう。

それこそ大雑把な人に対し、「お前さ、アメリカ人みたいにアバウト過ぎるのやめろよ」と言った場合、ここで取りざたされたアメリカ人は頭に来るかもしれない。敢えて「アメリカ人」なんて言う必要はない。

文章に勢いをつかせるために比喩を入れたり、わかりやすくさせようとして比喩を入れるかもしれないけど、結局彦摩呂がいうところの「海の宝石箱や~!」「お肉と野菜とたれの騎馬戦や~!」みたいなもので、実際には何も意味がないし、よく考えたら余計分かりづらくなっているという話にもなりがちだ。ただし、彦摩呂の場合は誰も傷つけておらず、基本は持ち上げているのでこれは無害である。さらに、彦摩呂の場合はこれが「芸」になっているため、「お約束」として比喩が求められている。その一方、他のグルメリポーターが同様のことをやっても寒いだけ。

とにかく、炎上させないためには余計なツッコミポイントを与えないことが重要で、そのために心掛けなくてはいけないことは、「当事者の感情を悪い方向に揺さぶらない」ことなのですね。だとしたら、関係者がいそうなものをどうでもいい文脈で出さないというのが重要です。

前出・長谷川氏がどうしてもコバエを出したいのであれば、「キッチンシンクの三角コーナーに沸いたコバエのごとく」だったらまぁ、OK。というのも、この場合は「キチンと三角コーナーを掃除しないがさつな人のところにコバエが沸くのは普通のことだし、キレイにしないそいつが悪い」という「悪い文脈で出す大義名分」があるからなのですよ。

とはいっても、わざわざコバエを出す必要もないですよね。

さて、こうした件で私たちが過去にクレームを受けた際に「まさかそう来たか・・・。こりゃ、より慎重にならなくちゃな」と思わせられた件があります。それは「ついに人格者で知られていた○○氏のメッキがはげたようである」といったことを書いた時のこと。メッキ業界の関係者からクレームがついたのです。

「メッキははげねぇんだよ! オラ! オレらの技術力は高いんだ、オラ!」

こうしたこともありますので、文章には「配慮、配慮」の羽賀研二のごとき「誠意大将軍」でありたいものです。この場合に羽賀研二の名前を出すのはOK。理由は「誠意のある人」というポジティブな文脈ですから。

こうした日々の謝罪について、炎上しないための作法は、
謝罪大国ニッポン (星海社新書)
中川 淳一郎
講談社
2016-08-26


に色々書きました。あと、なんか売れてるらしい&日々の人間社会で発生トラブルについては、
バカざんまい (新潮新書)
中川 淳一郎
新潮社
2016-09-15

に書いていますのでどうぞよろしくお願いいたします。一応、両方の本でも、今回挙げたような配慮はしております。批判や悪口は多数書いてあるものの、関係のない人の悪感情は呼び起こさぬよう心掛けた文章を書いております。